14年

大切な人を亡くしてからの日々と今

周りからの言葉

今は、うまく聞き流すことができたり

まあ、そんな考えもあるさ!と思えるようになり

楽になりましたが

死別数年は、ちょっとしたことでも落ち込んでました。

しんどかったなあ。

心がむき出しの状態でした。

 

だんなさんいる人から

「元気だしてね。いつまでも泣いてると天国のお父さん悲しむよ。」「子供達のためにも、お母さんは笑顔でいてあげてね。」「話聞くからみんなでランチしよう!」と声かけられると

 

(だんなさんいる人からそんなこと言われても‥)で、本当に本当に嫌で

 

逆に

 

言葉なく、涙してくれる人、

「ちょっとおすそわけあるから、よかったら食べて」くらいでそっと玄関に置いていってくれる人とか

 

必要ならいつでもかけつけるよ‥な距離感で見守ってくれた人は

本当にありがたかったです。

 

どちらの場合も心配して言ってくれてるのに

受け入れられないとき、そんな自分が嫌で

また落ち込むことも。

 

要は、

私を明るく元気にしようと頑張ってくれる人が苦手。

ありのままを否定することなく寄り添ってくれる人がありがたかった

って感じです。

 

前に、市役所の母子支援の相談員さんの話を書いたんですが

sumireblog.hatenablog.com

 はじめに担当してくれたAさんは

「子供は親の背中を見て育つから、お母さんがちゃんとお仕事をした方が、子供にとってもいいですよ」って正論で

 

後に担当してくれたBさんは逆に

「仕事?すみれさんには、まだまだ早いですよ。仕事はお金をもらうんだから、責任もかかってくる。無料やお金を払うところだったら、こちらの体調次第でやめれるから、まずは、そういうのでいいんじゃない?」でした。

 

具体的にいうと、家でパンを焼くのは楽しいと思えた私に

 

Aさんは「パンやさんで働くのはどうですか?」

Bさんは「おもしろそうなパン屋さんができたから、興味あれば」ってお店の地図を書いてくれる人

 

そんな対応でした。

 

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Bさんと話していて

自分はまだ無理してるのが自覚できたので

 

まず外に出るのは

仕事よりも、

週に1度程度、知ってる人に会わない遠くのフィットネスに通うことにしてみました。

(そこでは、挨拶する程度の気楽な人間関係で、話すこともみなさん、運動の話でした~)

 

死別直後は、視野も狭くなってて

「こうしなければ!」と焦って空回りしていたのが

Bさんに

いろんな道があることを教えてもらえて

今につながってる気がします。

感謝です。

 

(ちなみに、息子は当時を振り返り

「とうちゃんの次は、今度はかあちゃんが死ぬんじゃないかと怖かった」と言っていたので、働く背中以前の問題だったようです。)