14年

大切な人を亡くしてからの日々と今

子供達こそ

死別してからは

私だけでなく子供達こそ

大変でつらいこといっぱいあったと思います。

 

上の子が小学生のとき

「友達と友達のお父さんと3人でキャッチボールした」と帰ってきて

「お母さんとやりたい…」

 

体調不良の中、めまいしながら公園に行ってみたものの

思うようにボールが届かず

「坂の上に行って!」とキレ気味の子供。

重力の力を借りてキャッチボールしたの、思い出です。

 

学校では、お父さんの話のとき

はぐらかしてるって言ってました。

 

市役所の方では

「大学生が家にきて遊んでくれるボランティアあります」ってきいたけど

どんな人くるかわからないし

ってことで

 

ああ…子供達だけでも元気に遊べたら…

 

グリーフサポートさんに話してたら

教えてもらいました。

 

他の地域にも探すと

似たような取り組みしているとこも

あります。

www.ashinaga.org

 

今考えたら、我が家にとって一番の転機でした。

 

子供達がのびのびしてた。

 

私も同じ境遇の保護者の方と話すことができて

私達にようやく居場所があったという感じ。

 

子供達に一緒にいてくれるスタッフさんも

自身が小さいときに

お父さんお母さんを亡くされた人が多くて

 

そのときの気持ちを教えてもらうこともできたのも

嬉しかったです。

 

配偶者、子供…

その立場にしかわからないことがあります。

 

居場所があると思えたら

その後、少しだけ

現実の生活も踏ん張れるようになりました。

 

そして

普段はおりこうで手のかからないと思っていた子供が

向こうで描いた絵は

 

私が怪獣。

 

ショックよりも、気持ちを表現してくれたことが

嬉しかった。

 

子供の心のことも心配だけど

当時、自分のことでいっぱいで

 

手のかからないことをいいことに

子供達をほったらかしていて

 

でも、これでいいわけがないと不安な気持ちも抱えてました。

 

そんなときに

親を亡くしたお兄さんお姉さんが家の子供達と

遊んでくれて

 

抱えていたことを

いっときおろすことができました。

 

本当に感謝です。

 

www.ashinaga.org

↑参加者さんのインタビューが載ってました。

 

www.ashinaga.org

↑こちらの人の話が

状況は違うけど自分と似てるとこありました。

 

(うちは私がまあまあ働ける体調になっていた時期に

子供がやりたいこと見つけて

 

そのサポートとパートの両立を考えたとき

心の余裕がなくなるのわかっていたので

思いきってパートを転職。

週に2回まで減らしました。

 

今ふりかえれば、子供いれるのは

人生の中でいっときで、その後1人になってからは

自由に働けるから

その決断でよかったと思います。

 

そして、いろんな人への感謝の気持ちも

うまく表現されてる。ほんと、現在、そんな感じ。)

 

 

今日はお仕事。

世間が休日のときに働く方が

好きです(´- `*)♪

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↑かぼちゃのパン~。

名前にかぼちゃがつくと、何でも美味しい。